子供の頭部外傷後の味覚・嗅覚障害:病態生理、診断、および臨床管理
はじめに
子供は活発な活動の中で、時に転倒や衝突などによる頭部外傷を負うことがあります。頭部外傷の合併症として、意識障害や神経麻痺などが知られていますが、味覚障害や嗅覚障害も比較的頻繁に見られる後遺症の一つです。特に子供の場合、これらの感覚障害を自分で正確に訴えることが難しいため、保護者や周囲の医療従事者が注意深く観察し、適切に評価することが重要となります。
この記事では、子供の頭部外傷後に生じる味覚・嗅覚障害に焦点を当て、その病態生理、診断、および臨床管理について解説します。
頭部外傷後の味覚・嗅覚障害の病態生理
頭部外傷による味覚・嗅覚障害は、様々なメカニズムによって引き起こされます。
嗅覚障害のメカニズム
嗅覚は、鼻腔上部の嗅粘膜にある嗅細胞が匂い物質を感知し、嗅神経、嗅球、嗅索を経て脳の嗅覚野(大脳皮質など)に情報が伝わることで成立します。頭部外傷による嗅覚障害の主な原因は以下の通りです。
- 嗅神経線維の断裂: 頭部への強い衝撃により、嗅粘膜から脳へと伸びる細い嗅神経線維が、篩板(鼻腔の天井部分にある骨で、嗅神経がここを通って脳へ入る)のレベルで shearing injury(ずれによって引き起こされる損傷)を受け、断裂することが最も多い原因とされています。特に前頭部への衝撃で起こりやすいと考えられています。
- 篩板の骨折: 篩板自体が骨折することで、嗅神経や嗅球が直接損傷を受けることがあります。
- 嗅球または嗅索の損傷: 篩板よりも脳に近い部分にある嗅球や嗅索が、頭部外傷に伴う脳挫傷や出血、腫脹などによって損傷を受けることもあります。
- 中枢神経系の損傷: 大脳皮質の嗅覚野など、脳内の嗅覚情報処理に関わる領域が損傷を受けることで、匂いの認知や識別ができなくなる場合(中枢性嗅覚障害)もあります。
- 鼻腔内の問題: 頭部外傷に伴う鼻骨骨折や副鼻腔の損傷、血腫などにより、匂い物質が嗅粘膜に到達できなくなること(伝導性嗅覚障害)も原因の一つです。
味覚障害のメカニズム
味覚は、舌や口腔内にある味蕾が味物質を感知し、顔面神経(VII)、舌咽神経(IX)、迷走神経(X)といった脳神経を介して脳の味覚野(大脳皮質、脳幹など)に情報が伝わることで成立します。頭部外傷による味覚障害の原因は嗅覚障害ほど多くはありませんが、以下のようなメカニズムが考えられます。
- 末梢神経の損傷: 味覚伝達に関わる脳神経(顔面神経の鼓索神経、舌咽神経、迷走神経など)が、頭蓋底骨折や顔面骨骨折、あるいは外傷に伴う圧迫などによって直接損傷を受けることがあります。特に側頭骨骨折に伴う顔面神経損傷では、鼓索神経の障害により舌の前方2/3の味覚障害が生じることがあります。
- 中枢神経系の損傷: 脳幹や視床、大脳皮質の味覚野など、味覚情報処理に関わる領域が、外傷に伴う脳損傷によって障害されることがあります。
- 嗅覚障害の合併: 風味は嗅覚と味覚が組み合わさって感じられるため、嗅覚障害が原因で風味の認知ができなくなり、結果的に味覚がおかしいと感じることがあります。頭部外傷後の味覚障害は、嗅覚障害を合併していることが多いとされています。
子供における症状の気づきと評価
子供の味覚・嗅覚障害は、大人に比べて自覚症状を正確に表現することが難しいため、見逃されやすい傾向があります。保護者や医療従事者は、以下の点に留意して観察・評価を行う必要があります。
- 食行動の変化: 以前は好きだった食べ物を嫌がる、食べる量が減る、特定の味(例:甘味、塩味)への嗜好が極端になる、香りの強いものを避ける、異食行動が見られるなどの変化は、味覚や嗅覚の異常を示唆する可能性があります。
- 訴えの聞き取り: 年齢に応じた言葉で、「味がしない」「変な味がする」「匂いが分からない」といった訴えがないか丁寧に聞き取ります。小さい子供の場合は、「おいしくない」「へんなにおい」といった単純な言葉で表現されることがあります。
- 年齢に応じた評価方法:
- 乳幼児期: 食行動の変化や不機嫌さなどが主な観察項目となります。特定の刺激(甘い、苦いなど)に対する反応(表情、行動)を観察するしかありません。
- 幼児期~学童期: 簡単な言葉での訴えに加え、視覚情報に頼らない(目隠しをするなど)簡単な味覚・嗅覚テストを試みることも可能です。例として、身近な食べ物や匂い(果物、カレー、石鹸など)を用いた識別テストなどがあります。ただし、標準化された小児向けの検査は限られています。
- 思春期: 大人と同じような嗅覚・味覚検査(基準嗅力検査、電気味覚検査など)が適用可能になります。ただし、頭部外傷直後や神経学的状態によっては実施が困難な場合もあります。
- 問診の重要性: 受傷時の状況(受傷機転、衝撃の程度、意識レベルなど)、受傷後の症状の経過、併存する症状(頭痛、めまい、吐き気、意識障害、他の神経学的症状など)について詳細に聴取します。既往歴や服薬歴も確認が必要です。
診断
頭部外傷後の味覚・嗅覚障害の診断は、上記の問診と身体診察、そして必要に応じた専門的な検査に基づいて行われます。
- 詳細な問診と神経学的診察: 受傷状況、症状の経過、併存症状などを詳細に聴取し、頭蓋神経を含む神経学的診察を行います。
- 味覚・嗅覚の評価: 年齢に応じた方法で味覚・嗅覚の機能評価を行います。専門的な検査としては、以下のようなものがあります。
- 嗅覚検査:
- 定性検査: 標準的な匂い刺激(例: T&Tオルファクトメーター、Sniffin' Sticksなど)を用いて、匂いの識別能力や認知の有無を評価します。小児用には絵カードと組み合わせたものなどもあります。
- 定量検査: 匂いの閾値(最も薄い匂いを感知できる濃度)を測定します。
- 味覚検査:
- ろ紙ディスク法: 甘味、塩味、酸味、苦味の4基本味をしみこませたろ紙を舌の各部位に置いて味の認知を評価します。
- 電気味覚検査: 舌に弱い電流を流し、味覚刺激を感じる閾値を測定します。客観的な評価法として有用ですが、子供の協力が必要となります。
- 嗅覚検査:
- 画像検査: 頭部CTやMRIは、頭部外傷の程度や脳の損傷、篩板骨折、鼻腔・副鼻腔の状態などを評価するために重要です。特に嗅神経、嗅球、嗅索、脳の嗅覚野・味覚野周辺の損傷の有無を確認します。
- 鑑別診断: 頭部外傷以外の味覚・嗅覚障害の原因(感冒、副鼻腔炎、アレルギー性鼻炎、薬剤性、先天性、神経疾患、腫瘍など)を除外することも重要です。
治療とケア
頭部外傷後の味覚・嗅覚障害に対する特異的な確立された治療法は、現状では限られています。多くの場合、自然回復を期待しながら経過観察が行われます。
- 経過観察: 軽症の場合や外傷の程度が比較的軽い場合は、数週間から数ヶ月で自然に回復することが少なくありません。定期的に味覚・嗅覚機能の評価を行い、経過を観察します。
- ステロイド療法: 急性期にステロイド薬が投与されることがありますが、頭部外傷後の味覚・嗅覚障害に対する有効性については、明確な科学的根拠は確立されていません。症例によっては試みられることがあります。
- 嗅覚トレーニング: 匂いの種類を意識的に嗅ぐトレーニングが、嗅覚機能の回復を促す可能性があるとして注目されています。子供に対しても、年齢や理解度に応じて、日常の様々な匂いを一緒に確認するなどの形で取り入れることができます。
- 合併症への対応: 頭部外傷に伴う他の症状(頭痛、めまい、集中力低下など)や、嗅覚・味覚障害による食欲不振、栄養障害、心理的な問題などに対し、対症療法や支持療法を行います。
- 保護者への支援とケア:
- 安全確保: 匂いが分からないことで、ガス漏れや火事、食品の腐敗に気づきにくくなるリスクがあることを説明し、家庭での安全対策(ガス警報器の設置、食品の管理徹底など)について指導します。
- 栄養面の配慮: 味覚・嗅覚障害により食事が楽しめなくなり、偏食や食欲不振につながることがあります。子供が食べやすい味付けや食感の工夫、栄養バランスの維持について保護者と一緒に考えます。必要に応じて栄養士や管理栄養士と連携します。
- 心理的サポート: 食事の楽しみが失われることや、周囲に理解されにくいことから、子供自身や保護者が精神的な負担を感じることがあります。共感的な姿勢で寄り添い、必要に応じて専門家(臨床心理士など)への相談を勧めます。
- 家庭での工夫: 見た目や食感、温度など、味覚・嗅覚以外の感覚情報も活用して食事を楽しむ工夫を保護者に伝えます。
予後と長期管理
頭部外傷後の味覚・嗅覚障害の予後は、損傷の程度や部位によって異なります。一般的に、嗅神経の断裂などによる障害は回復が難しい場合が多い一方で、脳震盪後の軽度の障害では自然回復が期待できることがあります。回復には数ヶ月から1年以上かかることも珍しくありません。
長期にわたって味覚・嗅覚障害が持続する場合、子供の成長や発達に影響を与える可能性があります。食習慣の偏りによる栄養問題、匂いや味が分からないことによる危険回避能力の低下、そしてQOL(生活の質)の低下などが考えられます。
そのため、回復が見られない場合や重度の障害が持続する場合は、定期的な経過観察を行い、上記のような栄養面のサポートや安全指導、心理的支援などを継続的に提供することが重要です。
まとめ
子供の頭部外傷後に発生する味覚・嗅覚障害は、見過ごされやすい合併症です。保護者や医療従事者は、子供の食行動の変化や訴えに注意を払い、早期に異常を疑うことが重要です。診断には、詳細な問診、年齢に応じた味覚・嗅覚評価、そして画像検査が有用です。特異的な治療法は限られますが、経過観察とともに、安全確保、栄養サポート、心理的ケアなど、子供と保護者を支える多角的なアプローチが求められます。長期にわたる障害の場合でも、根気強くケアを続けることで、子供の健やかな成長を支援していくことが大切です。
本記事が、子供の頭部外傷後の味覚・嗅覚障害に対する理解を深め、臨床現場での適切な対応の一助となれば幸いです。